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サイモン・ベイカー さんってこんな人。:バイオグラフィ

ファンブログなのに、基本的な人物紹介がないことにいまさら気付きました。
そういうわけで、誕生日も近いのでここらでサイモンの基本的なデータをご紹介します。

なお、ここではバイオグラフィのみで、フィルモグラフィはまた後日置きに来ますよ。
なるべくWiki以上を目指しますのでごゆっくりしてってね!

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Simon Baker
本名(フルネーム):サイモン・ルーカス・ベイカー Simon Lucas Baker
生年月日:1969.7.30
出身地 :オーストラリア連邦タスマニア州 ロンセストン
国 籍 :オーストラリア国籍、アメリカ合衆国市民権

家族(敬称略):
妻  レベッカ・リグ -女優・作家(1967.12.31生まれ)
長女 ステラ・ブリーズ・ベイカー 大学生(1993-)
長男 クロード・ブルー・ベイカー 小学生(1999-)
二男 ハリー・フライデー・ベイカー 小学生(2001-)

※サイモン家族は全員アメリカ在住。
※生家の一族はほとんどがシドニー在住。

生母 エリザベス・ラバートン(1948-)
生父 バリー・ベイカー(1946- ヨットマンらしい。タスマニア在住)
養父 トム・デニー
姉  テリー(1967- たぶん既婚。歯科医師)
異父妹 ミーガン(父はテリー氏 サイモンより12歳下)
異父弟 ルーク (父はテリー氏 サイモンより14歳下 カリフォルニア在住?のイケメン)
いぬ ハッピー(メスのもふもふ。オーストラリア在住で友人一家とのシェアドッグ)

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もふもふとサイモン。普段は友人の家でモフられている。
はたしてこの俳優を飼い主と認識しているのかどうかは、もふもふにしかわからない。

愛車:
以前はレンジローバーとプリウスを所有していたがプリウスは売ったっぽい。
買ったはいいが高価なバッテリー交換をしてまでエコセレブをアピることもないと気付いたようだ。
グレーのミニバンが大好きで、サンタ・モニカの自宅用には昨年フォードのバンタイプを
購入している。

愛車でさっそうとスタジオに向かうハリウッド俳優。
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自宅:
US カリフォルニア州サンタ・モニカ
AU シドニー市ニュー・サウス・ウェールズ州 ナシュア

学歴:
・聖フランシス・ザビエル校 初等科(St. Francis Xavier Primary School)
・バリナ校 高等部(初等科も同じバリナ町にある)
・某医療専門学校 看護科 中退
・トリニティ・カトリック・カレッジ 卒了

ミッション系の専門大学です。骨の髄までバリッバリのカトリック教育受けております。

職歴:
バーのウェイター、レンガ職人、電気機械技師助手、ピザ職人、タイムシェアコンドミニアム管理人、
モデル(広告・テレビCM・グラビア)、俳優

来日歴:20代の頃、広告モデル撮影にて。(のちの日産エルグランドのCM撮影はアメリカ)

日常行動:
メンタリスト撮影期間中・・・7月下旬~翌年3月末。月―金 週休2日制で働いている。土日はテスコか海辺。
メンタリストX’mas休み・・・12月中旬~1月2週目。オーストラリアへ帰省してサーフィン三昧。
アワード・シーズン・・・・・2月。G-Day(ハリウッド豪州映画協会祭)に出席。
不定期・・・・・・・・・・・・・レイカーズ(バスケ)戦をVIP席で年2~3回観戦。
メンタリストOFF期間・・・・4月~7月中旬。映画のお仕事を入れるアタック・チャンス。


<サイモン・ベイカー 細腕?繁盛記>

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ジャングルでの接近戦にそなえコマンドーメイクに余念のないサイモン・ベイカー(左)
隣は姉テリー。普段は野戦病院で日夜ヴェジマイトを食べ過ぎてしまったタスマニア兵の虫歯を治している。


<サイモン 0-9歳>
生後間もなく父・バリー氏の仕事都合でニューギニア島北部に移住。ほどなく両親が離婚し、
サイモンは母の再婚相手であるデニー氏の元で暮らすためシドニー(NSW州レノックス・ヘッド)へ
姉と共に引っ越すこととなる。

<サイモン 10代前半>
自宅のあったバイロン・ベイ(NSW州)は丘を越えて15分の場所にサーフスポットがあった。
大変しつけの厳しい家庭だったため、門限の17:00を秒刻みで確認しながら趣味の腕を磨くことになる。
ここまでくると波乗りの訓練なのか体内時計の訓練なのかわからないが、のちに謎の男から
破格の値段でベリベリ時計を買い、
「バイロン・ベイに行ったら必ずいるやたらめったら時間を尋ねてくるウザいジモティ」
という不憫な境遇を抜けだした。

<サイモン 10代後半>
バリラ町の高校ならびにカトリック・カレッジに就学するが本人いわく
「朝の朝礼が済んだら、即学校を抜けだしてサーフィンに向かう」ふまじめな学生だったそうだ。
まあ勉強してない感じはなんとなく肌で感じる。

クラブ活動は水球部。ライフワークであるサーフィンではNSW州のコンテストで優勝経験を持つ。

ステップ・ファーザーであるデニー氏とはあまり良い信頼関係を築けなかったと語っているが、
家族への配慮から永らく生父であるバリー氏を尋ねる事はできなかった。
その後80年代に母がバリー氏と正式に離婚する。

<サイモン 17歳。生みの父との再会>
1986年、高校卒業を機にバリー氏と連絡を取り翌年タスマニア島に父を尋ねる。
実に10数年ぶりの再会だったが、ヨットマンである彼とは海を愛する男同士、あっという間に意気投合。
ちなみに血縁者と顔が似ていないことで有名なサイモンだが、唯一バリー父ちゃんとは激似である。

<サイモン 18歳。おたんこナース>
シドニーに戻ると、既に歯科医師として働いていた姉にならい無謀にも医師を目指す。
しかし成績の都合であえなく断念。
代返ばかり頼んでいたんだから当たり前だ。それにしてもよく高校卒業でk・・・。

しかし 同じ白衣を着るならナースでもいいんじゃね?!と 浅知恵 機転を利かせ、
看護専門学校に入学をはたす。
ところで、なぜそんなに医療系にこだわるのかという疑問に対し、のちにサイモン本人はこう述べている。
「暮らしていた地域は男女比率が10:2で、同い年の女性と巡り合える確率が最も高いのは
きっとナース学校だろうと思ったんだ。
でも思ったほど女生徒はいなくて、同級生といえばゲイばかりだったんだよ。」

それなら看護学校の前でナンパでもしておけってな話ですが、根がまじめなんでこういう
痛々しい行動に走るんですな。けどもしもFaceBookの時代にサイモンが生まれていたら、
このへんでさっさと所帯持って落ち着いてしまったかもしれないのである。素晴らしきかな昭和生まれ。

<サイモン 19~20代初>
専門学校中退後、シドニーに戻ったサイモンは数々のアルバイトに従事。
最も長く続けていたパブのウェイター以外に、電気配線工助手、ピザ調理師、
タイムシェア型コンドミニアムの管理人(たいへん就業態度が悪く、数日でクビになったらしい)
などの雑務をこなす一方で、リーフレット等で広告モデルをこなす。

<サイモン 20歳。しまむら(価格)の広告モデル>
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お手ごろ価格。(マネキンさんは別料金です

音楽ビデオ製作会社ADとなったが、徐々にPVの端役などカメラ前に立つ仕事をもらえるようになる。
友人の誘いでTVコマーシャルのオーデションに応募、見事合格してアイスクリームのCMに出演。これを機に
数本のCMに出演し、エージェント契約を得てモデル撮影のため数回ほど来日をしている。
もしご自宅の物置で博多人形を包んでいる紳士服の広告にサイモンが掲載されていたらご一報ください。

<サイモン 22歳。黒歴史>
1991年、オーストラリアの人気POPバンド「ユーフォリア」のPVに出演。
まさかこの20年後、この3分あまりの動画が見た者(サイモンだけ)を1週間どころか一瞬で
凍りつかせるのろいのビデオになろうとは。ちなみにデビュー当時の芸名は「サイモン・デニー」であった。
ビデオで披露したタコ踊りが意外にもウケ、アイドル雑誌に掲載されるなど本格的な芸能活動を開始。
同じころ、のちの妻である女優レベッカ・リグ氏とシドニーのパブで出会う。
サイモンの働いてる店に彼女が偶然立ち寄ったそうだよ。どうみても一本釣りですありがとうございました。

<サイモン 23歳>
1992年、国民的人気を誇る青春ドラマ「E-ストリート」へ出演。レベッカと共演の機会を得るとともに、
アイドル俳優として本国での人気を不動のものとする。
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絶頂アイドルにしか許されぬこの向日葵、このアロハ。
そしてこの渋々感あふれるピュアな表情、すばらしい。

<サイモン 24歳>
1993年24歳の誕生日直後、レベッカとの間に長女ステラが誕生。
これを機に、芸名を「サイモン・ベイカー・デニー」に変更。シドニー北海岸に自宅を移す。

<サイモン 26歳 アメリカへ>
1995年クリスマス、所持金わずか3500ドルを手に妻子と共にアメリカL.A.へ移住。
1998年、レベッカと正式に入籍。

<サイモン 30歳>
1999年、クロード誕生。名付け親は友人ニコール・キッドマン。
芸名からデニー姓を削り「サイモン・ベイカー」として活動開始。
ベイカー姓を名乗る事に付いては、「これが本来の自分、生まれながらの自分であると感じた。」
アメリカ発音がやたら上手いために常々ネタにされるというか、来米してもう20年になるのに
いまだにトークショーでその話ししか振られないサイモンだけど、きっとこのあたりで
血のにじむような努力があったんだと思うね。

<サイモン 30-31歳>
2001年、The Guardian(ニック・フォーリン)のプレミア放映6日前にハリーが誕生。
名付け親は友人ナオミ・ワッツ。
ちなみにこの頃、ニコールの邸宅に数ヶ月間妻子と共に居候していた時期があるらしい。
一旦はカリフォルニア州マリブにビーチ付きの自宅構えるが、ハリウッドでの俳優業や友人との
関係を継続するに不便を感じたため、L.A.へ再転居。のち2005年まで子育てとドラマの主演両立のため
過酷なスケジュールをこなすこととなる。

<サイモン 37歳。失意の打ち切り>
2006年、CBSと複数年契約を交わしていた連続ドラマ「Smith」がわずか5話打ち切りとなる。
(主演はレイ・リオッタさん。他ジョニー・リー・ミラーさん)失意のうちに一時は帰国を考える。
結果、空いてしまったスケジュールを使い、自宅の大改装をおこないテスコの常連客となる。

同年、巨匠マーティン・スコセッシ監督がヒチコックの散逸した脚本の一部を映像化した実験作に出演する。

<サイモン 37-38歳。引っ越し癖に終止符>
せっかくLAの家を改装したのにさっさとサンタ・、モニカに転居。
マリンスポーツと静かさ、そしてハリウッド勤務を可能にする理想の立地で腰を落ち着ける。
これ以降、サイモンがパパラッチされる場所は大半がテスコかこのサンタモニカの浜辺である。楽勝。

<サイモン 38歳。あの作品と運命の出会い>
2008年、サンタ・モニカ市内でさらに転居し(またやったのか)現在に至る。
同年オーストラリアに里帰り中、ブルーノ・ヘラー氏から送られてきた
新作「メンタリスト」のパイロット・スクリプトを(嫁レベッカが)読んで(嫁レベッカが)作品に一目ぼれ。
急きょカメラテストのためL.A.へ飛び、1日後には主演に内定する。

<サイモン 39歳。もらった金はすぐに不動産投資>
2009年、かつて実家のあったオーストラリアNSW バイロン・ベイ近くのナシュアに6.8エーカーの農場
および自宅を購入。
同年12月、パトリック・ジェーン役でエミー賞主演男優賞にノミネート。

<サイモン 40歳。腰痛とのたたかい>
2011年、持病である坐骨神経痛が悪化したためX線の精密検査を受けたところ、
10代後半に骨折した腰椎下部の状態がおもわしくないことが判明。2月に外科の緊急手術を受け、
破損した背骨を固定するためチタン製のロッドを挿入する。
(メンタリスト シーズン4のロケ前にあたります)

<サイモン 42歳。栄誉会員認定ラッシュ>
2012年7月、ハリウッド商工会議所よりウォーク・オブ・フェイムに選任され殿堂入り
2012年同7月、アカデミー会員に選出

<サイモン 43歳>
2012年7月25日 メンタリスト シーズン5撮影開始
2012年7月30日 43歳の誕生日!

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サイモンこれからも頑張ってね!あなたの俳優人生には、まだまだ開けてない引き出しが沢山あるんだ。

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プロフィール

すう。

Author:すう。
別名ももぐみ。べいかあ教徒として日々修行を送っているつもりの永遠の4歳児。
唯一神おさいもんをあがめ、いい子になろうと血道をあげています。

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